また、甘ったるい声で名前を呼ばれる。
それは遊女の様にあざとく甘美な響きだが、その音を発するのは女ですらない。
容貌は女人にも童のようにも見えるが、これはれっきとした男である。
返答はせずに声の音源を振り返ると、
それは稚児のように畳に転がり、猫のように気だるげに寝返っていた。
「かんべえどのお」
再び不満げな甘え声が上がる。
その丸い瞳はしかとこちらを見据え、強い視線を送っている。
どうしたものかとため息を落とすと、不服そうに頬を膨らめた半兵衛が擦り寄ってきた。
この男は女子ども扱いを嫌うくせに、自身の武器として使うから性質が悪いのだ。
ことの始まりは半刻前。
自室で書を認めていたところに、この半兵衛が突然訪れて「暇」と一言。
いつもの戯れに付き合うだけの理由も無かったので、邪魔をするなと言いつけて放置したのだが、
半兵衛はそこらから勝手に書を引き出してきては読み漁り始めた。
無残に散らかっていく部屋に文句を言いたくなったが、この応酬こそが半兵衛にとって思う壺だと考え直す。
半兵衛が部屋を訪れて読み物を物色していくのは何時ものこと。この部屋ならば片付けも大してかからぬだろうと自身を納得させた。
そうして居るうちに半兵衛は転がって読書を始め、つかの間の静寂が訪れる。
筆のささやかな擦音と、紙をめくる規則的な音。
互いに没頭し、気づけば日は落ちていた。
日暮れで手元が朧になる前に無事に書を終え、一息ついて筆を置く。
同時に、書を畳む音が聞こえた。
「官兵衛どの、夕餉までまだ時間ある?」
「日が暮れたばかりだ。準備はこれからだろう」
「じゃあ、一眠りできるよね」
この話題の方向性。嫌な予感しかしない。
筆を片付けながら、先手を打つべきだと脳内で警鐘が鳴った。
「半兵衛、」
「俺、官兵衛殿が書き物終わるまで、ずーっと待ってたんだよ?」
「待ってくれと頼んだ覚えは無い」
「かんべえどの」
有無を言わさぬ声音に、振り返るのも億劫に思える。
半兵衛の声は感情や意図を乗せて発せられる。今回、逃れる道は用意されていないらしい。
嗚呼、この部屋に半兵衛が訪れた時点で、諦めるべきであったか。
目を閉じて後悔をしていると、甘く強請る声が、耳を掠めた。
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