他人の褥が心地良いと思ったのはいつからだろうか。
半兵衛は部屋の主の留守を良いことに、用意されていた布団に勝手に潜り込んでいた。
綿の柔らかさに包まれ、薫物では成しえぬ彼の人の香りに僅かに酔いしれる。
そのまま猫が懐くように寝返りをうち、再び丸くなった。
つらつらと心地良さに身を任せ思い出に耽っていると、ある記憶に思い当たる。
あれは以前、半兵衛が体調不良を隠し、官兵衛の部屋で語り合った時のことだ。
しばらく官兵衛はいつも通りでいたが、次第に様子が険しくなり、
「切り上げよ」
と言い出した。
しかし上がってきた熱も手伝って話に夢中になっていた半兵衛は断固拒否した。
「絶対に帰らない。廊下でも良いから話す」
その頑なな様子に官兵衛は幾らも物言いたげにしたが、諦めた、ように見えた。
だが、話の途中で家人を呼びつけ、すぐにその場に寝具を用意させ始めた。
「まさか官兵衛殿…お誘い?」
「見るに耐えぬ。どうしても語りたいと言うのならこれを使え」
半兵衛の茶々を切り捨てるように言い、官兵衛は有無を言わさず布団に押し込む。
その様子はねねが子飼いを寝かしつける手荒さに似ていて、
ついで官兵衛の瞳にねねと同じ慈愛が見えてしまって、半兵衛は反抗も反論もできなくなった。
布団に仕舞い込まれて、急に襲ってきた疲労感にぐったりと官兵衛を見上げる。
「かんべえどの…頭痛い」
「知っている。熱が上がらぬうちに眠れ」
「でも、もっと話したいんだよ」
熱に浮かされながら駄々をこねると、大きい手のひらが額を覆った。
自身の体に比べ、遥かに低く感じるその手が心地良く、半兵衛は目を細める。
「後で、いくらでも話を聞く」
「そう言って、行っちゃうんでしょ?」
半兵衛がいじけた様にそう言うと、同時に熱に緩んだ涙腺から涙が溢れ出した。
それに官兵衛は僅かに目を見開いたが、少しため息を吐いて額に置いていた手で雫を掬う。
「ここは私の部屋だ。どこへ行かねばならぬ」
憮然と言い放ち、嬉色に染まりかけた泣き顔を隠すように半兵衛に布団を被せた。
官兵衛はそれ以上何も言わず、半兵衛は布団の中で満面の笑みを浮かべる。
しかしそう経たぬうちに半兵衛は、普段あまり香らない馴染んだ匂いに安心して、二の句を告ぐ前に意識を手放した。
そういえばあの時、官兵衛はどこで休んだのだろう。
熱に溺れて気が回らず、起きてからも医者やら見舞いやらでそれどころで居られなかった。
あの時官兵衛の布団で寝ている自分に、誰一人として疑問を抱かなかったのも少し面白かった。
些細な疑問が重なり、耐えかねて布団から顔を出すと、見下ろす瞳と目が合った。
「あ、官兵衛殿」
「…何をしている」
湯浴みをしていたらしい風体の官兵衛は胡乱な物を見る目つきでこちらを見ている。
気にした様子を見せぬ半兵衛は半身だけ布団から這い出し、官兵衛の入れるだけの隙間を作り、手招いた。
それに官兵衛の顔が顰められる。
「何か眠れなくてさー。官兵衛殿の布団なら、と思って」
「卿の思考は理解できぬ」
「まあ、入っといでよ官兵衛殿。湯冷めするよ?」
まだ春風遠く、肌寒い時期である。薄着そのまま立ち続けるのも気力が要る程度には寒い。
官兵衛は渋々嫌々といった表情を隠しもせずに布団に足を通した。
「わ、官兵衛殿冷たい」
「そう思うのであれば退け」
そう言いながら、冷えた体を温めるように半兵衛は抱きついた。
官兵衛は眉を顰めたが、疲れているのかそれ以上言及しない。
それどころか、懐く猫のような半兵衛を放って、そのまま目を閉じる勢いだ。
半兵衛は珍しいこともあるものだと瞬いたが、官兵衛が日中に一仕事していたのを想って寝かせてやる事にした。
「仕方ないな。温石になってあげるよ」
「…ああ」
頭のすぐ上、耳元に、体中に響くような声音の囁きで返答があった。
聞き覚えの無いような音程と吐息を間近に感じ、思わず体を震わせる。
官兵衛が温もりを求めて抱き寄せたのだと、半兵衛自身にも理解まで数刻を要した。
あまりにも綺麗に腕に収められたもので、違和感が少なかったのがいけない。
「…もしかして、あの時もこうやって寝た、とか?」
これほどまで上手く寝やすく一つの布団に収まるのも不思議だ。
丁度良い寝心地になるように試行錯誤でもしたのだろうか。
呟いてから、半兵衛は急に顔に熱が集まるのを感じた。
確認した瞬間、どうしようもない恥ずかしさがこみ上げた。途端にこの場から逃げ出したい衝動に駆られる。
しかし回される腕がそれを許さない。抜け出せば官兵衛を起こしてしまうだろう。
このような赤面を見られるわけには、絶対にいかない。
だが、ふと腕に意識がいったせいで、この密着を改めて再認識し、半兵衛はついに固まった。
「…っ…!?」
どうして、普段冷たいほど素っ気無いくせに、と大分混乱した半兵衛は心中で叫んだ。
まだ冷たい官兵衛の体に寄り、体の熱を冷まそうと足掻くが落ち着くまでしばらくかかるだろう。
穏やかな寝息が髪を揺らすのを感じながら、目前からの強い香りに、半兵衛は眩暈がした。
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