「官兵衛殿ー?どこいったのー?」
軽い足音が廊下を右往左往し、一つの部屋の前で止まる。
特に誰が使うという訳でもないその部屋には、人の気配があった。
「官兵衛殿?」
「…」
「何やってんの?」
薄暗い部屋の隅に、小さい黒い塊ができていた。
何故かぼんやりと青白く燐光を放っているので、一般の者ならば不気味がって近寄りもしないだろう。
しかし半兵衛は特に気にした様子も無く、むしろ興味津々といった表情でその塊を覗き込む。
丸くなるように正座する官兵衛の小さな両手に、淡い光を放つ翠の玉が抱きかかえるようにして包まれていた。
「あれ?それって大きい官兵衛殿がいっつも使ってた武器だよね…?どっから出したの?」
「…けいには教えぬ」
子供にしては低いのだろうが、僅かにあどけなさの感じられる声音で官兵衛は呟いた。
そのまま面は上げず、大切そうに翠玉を抱え、じっとそちらを覗き込んでいる。
半兵衛はその態度に、面白いものを見つけた、と内心で喜んだ。
以前より鬼の手を操る不可思議な玉だとは思っていたが、持ち主にとって意外と大切なものらしい。
大きい官兵衛相手では一切分からなかったが、この今の官兵衛相手ならば聞き出すのも造作ない。
「それって、大事なもの?」
「教えぬ」
「ふーん…俺にそんな態度とって良いのかな~?」
「あ…っ」
その小さく非力な腕から、大事な宝玉を取り上げるのにさして力はいらなかった。
じっと翠玉を見ていた瞳が、やっと半兵衛を視界に入れる。
キッと睨み上げてくる視線は外見不相応に鋭いが、
以前の官兵衛の視線すら軽く流していた半兵衛には『珍しく可愛らしいもの』としか映らなかった。
「大人気ないぞ、半兵衛…!」
「子供らしくない官兵衛殿に言われたくないよねー」
半兵衛は手中に収めた翠玉を興味深そうに眺め、指先で叩いたり官兵衛のように手をかざしてみたりした。
だが、特に何も起きないようだ。先ほどの燐光も消え去っている。
「官兵衛殿専用、ってことだね。で、コレどっから出したの?官兵衛殿」
「けいには、教えぬ!」
伸ばされる細い子供の手を僅かな距離でかわしながら、半兵衛は子猫とじゃれるかのように楽しげだ。
それに流石に腹を立てたのだろう。いくら官兵衛とはいっても、まだ両手で齢を数える年だ。感情的にもなる。
「…ついえよ!」
「うっわ…!?」
官兵衛が半ば我を忘れて叫ぶと、半兵衛の手にあった玉から鬼の手が具現し、襲い掛かった。
ごとり、と手から玉は落ち、鬼の手に部屋の隅まで払いのけられた半兵衛は気を遣りそうになる。
たいした怪我は無かったが、すぐ起き上がるほどの軽い衝撃でもなかった。
「っ…すまぬ!半兵衛、けがは…」
我に返った官兵衛は酷く動揺し、分かり難いが心もとなく震える声を上げて、駆け寄る。
あまりに悲痛な声だったので、半兵衛は無理に起き上がり、笑って見せた。
「だいじょーぶ。…俺が悪かったよ、官兵衛殿」
しかし、それを見て官兵衛は顔をゆがめた。すぐに俯き、震える肩に、半兵衛は痛みも忘れて狼狽した。
この状態は、今にも泣き出しそうな子供のそれに酷似している。
「泣かないで、官兵衛殿。俺、何とも無いから!」
「…泣いてなど…おらぬ…」
「ちょっと、待っ…!」
掠れる声を振り絞り、官兵衛は踵を返し、部屋を飛び出していった。
「あああ~…やっちゃったよう…」
一人残された部屋で、半兵衛は力なく畳に倒れる。
自己嫌悪と後悔でいっぱいになった胸のうちが苦しく、痛みも気にせず大きなため息を吐いた。
別に幼い官兵衛を虐めようとか、そういった意図は無かったはずなのだ。
彼についての情報が欲しかったとか、あんな翠の玉よりもこちらを見て欲しかったとか、
そんな単純な動機でしかなかった。
まさか幼い官兵衛があれだけの反撃をしてくるとは思いもしなかったのだ。
これは自分の失策だ、と半兵衛は苦々しく呟く。
ふと、薄暗い部屋に淡く光るものがあるのに気づく。
痛みの治まってきた体を起こして見ると、そのまま転がされた官兵衛の翠玉であった。
そういえば先ほど、あれだけ怒るほど大切な物を差し置いて官兵衛は、
倒れた自分のもとへ駆け寄ってきてくれたのだ。
そして、宝物を置いて走り去ってしまった。
「俺の馬鹿…」
半兵衛は頭を抱えてうずくまった。
官兵衛が幼くなってから、ずっと半兵衛は不信感を募らせている官兵衛と親しくなれるようにと振舞ってきた。
相手が子供なだけに、彼と初めて出会ったときのようにはいかず、散々苦労した。
大戦でもこれほど緻密に練らないだろうというほど策も労して、やっと以前の距離まできたというのに。
とんだ失敗だ。
半兵衛はやり場の無い気持ちに呻いた。
「半兵衛、どこか痛むのか…!?」
部屋に響いた鋭い声に、半兵衛は体を振るわせた。
まさか、と顔を上げると、不安そうに覗き込む官兵衛の姿。
「っ、官兵衛殿…戻ってきてくれたの?」
「とうぜんであろう…私の責だ。じきにおねね様が来て下さる。あんせいにせよ、半兵衛」
半兵衛は思わず、目の前の体を抱きしめた。
「何事だ…!」
「良かったぁ…嫌われちゃったかと思ったんだ…ほんとに、ごめんね」
気の抜けた声を上げながら、自身より華奢な胸に顔をうずめ、苦しくない程度に気遣ってすがり付く。
すると、小さな手が半兵衛の頭をそっと撫でた。
「けいは、本当に大人気ない…」
小さく呟いた声も、安堵に満ちていた。
「こら、半兵衛!官兵衛をいじめちゃダメでしょう!悪い子だね!」
「申し訳ありませんおねね様!俺もすっごい反省しました!」
「…ま、仲直りできたみたいだし、今度から気をつけるんだよ?」
「肝に銘じます。もう絶対泣かせません」
「泣いてなどおらぬ」
「痛い。ほっぺ抓るのは無しだって官兵衛殿ぉ!」
「本当に、仲がいいねぇ二人とも」
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