正則が人通りの少ない離れを訪れたのは、ほんの偶然であった。
用事を済ませて自室に戻る途中、肌寒さを感じて、気まぐれのままに日当たりの良い南廊下を使ったのだ。
そこに、一人の細身の男が座っていた。
正則の毛嫌いしている、石田三成である。
こんな所で何を油売っているのかと難癖をつけようとした所で、違和感に気づく。
「…頭でっかち?寝てんのか?」
熟睡しているのか、ふらふらと覚束なく揺れる体は、今にも横に倒れそうだ。
近づいてみると、やはりその瞼は硬く閉ざされていた。
気配に敏い神経質な三成が、この距離まで気づかないとは珍しい。
いくら日向の光が暖かに差し込んでいるといっても、まだ立春である。
そこまで眠りこけるほど快適な環境とも言いがたい。
どうしたのかと思案していると、朝にねねが漏らしていた言葉を思い出した。
『最近、三成が寝てないみたい…お前様のためとはいえ、あの子は働きすぎて心配だよ』
なるほど、よく観察してみれば、三成の目の下には濃い隈ができていた。
顔も色白く、どことなくやつれている様に見える。
「このまま放っておきたいところだが…おねね様が心配してたしなあ」
だが、三成が目を覚ませば間違いなく喧嘩になるだろう。
それはいけない、と正則は思う。
そうだ、布団でもかけてやれば良いかもしれない。暖かいだろうし、布団を干す手間も省けるし。
うん、それが良い。
正則が部屋に戻ろうとした時、強めの風が吹いた。
あわてて三成の方を見ると、目こそ覚まさなかったものの、大きく体が傾く。
「うわっ…!ふー…危ねえ」
咄嗟に三成の頭を支え、事なきを得たが、三成はこれでも目を覚まさない。
この支えを離せばこのまま床に落ちるだろう。それは流石に酷いことだと思う。
だが、この場を離れられないのも辛い。現に支えて伸ばす腕は痺れてきていた。
と、正則の頭に名案らしきものが浮かぶ。
「おねね様みたいに寝かしつければ楽じゃねえかな」
早速三成の隣に座り、腿の上にそっと三成の頭を下ろした。
くたりと力なく横たわったその様子は、ねねに膝枕される秀吉と同じような体制になった。
この体勢なら、互いの体温が伝わって暖かいのだと、ねね膝枕の経験者の正則は知っていた。
これで布団を取りに行く必要も無い訳だ。
正則は自分の考えを自画自賛した。
だが、風が吹き付けるので少し肌寒い。
「…何をやってるんだ馬鹿」
「清正!あ、やべ…しーっ!しーっ!三成が起きる!」
正則の方が明らかに騒がしい、と清正はため息を吐いた。
しばらくその現状を見つめた清正は、何となくこの状態になった経緯を察した。
情に厚い正則は、突っかかるものの子飼いの中では一番世話焼きで優しいと清正は思っている。
ねねの心配事でもあった三成を、放っておけなかったのだろう。
それがなぜ膝枕に発展したのかは、流石に解りかねたが。
「清正、清正、ちょっとここに座ってくれよ」
正則は自分の空いているほうの隣を指差した。
清正が訝しげな顔をすると、情けなく笑って「こっち側がさっきから寒くて困ってるんだ」と言った。
なぜ俺が、と思ったが、正則まで風邪でも引いて倒れたら一大事である。
きっとねねは酷く悲しむだろう。それは頂けない。
三成を起こしてやろうかとも考えたが、起こしたら起こしたで、
この頑固者はそのまま執務に戻っていくのだろう。恐らく寝起きの不機嫌さで悪態もつくに違いない。
「…仕方ねえな」
「恩にきるぜ!清正ぁ!」
「静かにしとけ、馬鹿」
清正は渋々といった風情で正則の隣に座った。
すぐ横には正則の膝で熟睡する三成の頭が見える。
これだけ正則が騒いでも起きる気配が無いので、本当に疲れていたのだろう。
ねねが心配するはずだ。
三成は喋らなければ害は無い。むしろ子飼いとして、病弱な三成は守ってやらねばと思う。
だがそれをさせないあの気性は、どうにかならないのかと清正はため息をついた。
「寝てれば可愛げあるのになぁ…」
「まったくだ」
正則が呟いた言葉に、清正は心底同意する。
いつもこれだけ静かにしていれば良いのだ。
つらつらと考えているうちに、清正は瞼が重たくなってくるのを感じた。
そういえば今朝、自分もねねに心配されていた気がする。最後にゆっくり寝たのは何日前だったか。
清正は隣に体重を預け、日の暖かさに目を閉じた。
「おい…清正?」
正則は肩にかかる重みに驚いた。
そっと隣を伺うと、もたれ掛かる清正の姿。
「寝ちまったのかよ…?」
これだけの陽気、無理も無いと思うが、まさか清正まで。
正則は途方にくれた。二人分の体重を預けられて、動くことは不可能となった。
助けを呼ぼうにも、ここは人通りが少ない。
先ほど清正が通ったのは、恐らく帰りの遅い自分を迎えに来たのだろう。
大声でも出せば流石に二人とも起きてしまう。それはいけない。
「ど…どうしよう…」
正則は涙ぐみ、情けない声を上げた。
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