「竹中殿が弓で胸を射られた模様!」
陣中にその伝令が届いたとき、俺は戦いの最中にも関わらず、黒田官兵衛の方を見た。
作戦が大きく揺らいだ危惧もあったが、両兵衛として片割れの危機にどう対応するのか気になったのだ。
あの仏頂面が焦燥し、慌てて救援を出すのを期待したのだが、
予想を大きく裏切り、黒田官兵衛はさして変わった様子を見せなかった。
それどころか、竹中半兵衛の部隊を切り捨て、敵本陣への集中攻撃に転じたのだ。
その指示に誰もが驚き、俺も思わず叫んだ。
「あの軍に任せた策はどうなるんだ!援軍くらい出せよ!」
すると黒田官兵衛は煩わしそうに眉をひそめ、こちらを見下すように睨んだ。
「半兵衛が潰えてはあの策はならん。捨て置け」
あたかも竹中半兵衛がすでに討死したかのように淡々と現状を説明し、目の前の
人でなしは次の作戦の指揮をとりだした。
あちらには佐吉も参加していた。
奴一人で遂行できる策でも無い。軍としての生還は絶望的だが、せめて、おねね様が悲しまぬように、生きて帰れと願うばかりだった。
羽柴軍の勝利で戦が終わり、撤退の令が下る。
騒がしく兵が下がるなか、黒田官兵衛は今だに陣から動かない。
俺の役割は黒田官兵衛の護衛だった。
こいつが撤退しないことには帰れない。
何をしているのかと問おうとした時、乱れた、ゆっくりとした蹄の音が近づいてきた。
目を向けると、みすぼらしい馬に乗った、白地の着物に鮮やかな朱の胴あてを纏った人物が見えた。
「佐吉!?生きていたのか!」
声を上げると、佐吉は不機嫌な表情を隠しもせずに振り向いた。
近づいてきた姿には、特に怪我もない。
安堵していると、みすぼらしい馬が情けなく嘶いた。
これは、確か竹中半兵衛の駄馬ではなかったか。
「黒田殿。届け物だ。」
佐吉は憮然と言い放ち、だが馬から降りようとしない。
竹中半兵衛の遺品である駄馬を届けに来たのかと思ったが、この様子ではどうも違う。
困惑して黒田官兵衛の方を見遣ると、こちらも理解ができないのか無表情であった。
佐吉はその反応に無礼にも息を吐き、馬を操って背を向けた。
「遺体・・・じゃないな。生きてるのか?」
佐吉の後ろには、柔らかな毛並みに埋もれるように眠る竹中半兵衛が張り付いていた。
「それどころか無傷だ。落馬の衝撃で腕が震えるそうなので、俺が代わりに馬を御してきたが、途中からこの様なのでな。引き取り願いたい」
佐吉は黒田官兵衛をにらむ。
その官兵衛はというと、ただ無言であった。
「ん・・・?佐吉、着いたの?」
寝ぼけた声が沈黙を破り、竹中半兵衛は埋もれていた毛並みから起き上がった。
眠そうな顔で三人を見遣り、黒田官兵衛を見て表情を変えた。
「官兵衛殿!?何があったの!?そんな顔して!」
佐吉の背を離れ、馬から降りて黒田官兵衛に駆け寄る。
そんな顔?黒田官兵衛は先ほどから無表情に見えた。
竹中半兵衛の言葉を不振に思い、佐吉と二人で視線を交わす。同じように困惑した表情なので、佐吉にもいつも通りに写っていたのだろう。
「すっごい酷い顔してるよ!・・・もしかして、心配してくれた?」
「・・・知らぬ」
「ごめんね、官兵衛殿。この通り、大したことないから大丈夫だよ!」
「心配など・・・」
この異様な空気に唖然としていると、竹中半兵衛がこちらを振り返った。
佐吉の言ったとおり、顔色も普通なので本当に無傷のようだ。
「胸を射られたと伝令で聞いたんだが…」
「射られたんだけど、懐に食べ残しの餅が入っててね。丁度それに当たったんだ」
ほら、と見せられたのはヒビの入った固まった餅。
なんという強運だ。
「ところで虎之助、佐吉を頼んで良い?落馬した俺を庇って、足を痛めたみたいなんだ」
「俺は怪我などしておりません」
「佐吉ー、大人しくしてないと、紀之介に言いつけちゃうよー?」
反論して馬から下りようとした佐吉が、面白いように動きを止めた。
なるほど、佐吉の扱いをよく分かっている。
弱弱しい馬の手綱を引くと、抵抗も無く歩き出す。
この馬でよく二人乗りなどしたものだと感心したが、そういえばこの二人は例外だった。
羅針盤や扇で滞空するような離れ業をやってのけるほどだ。体重を聞くのも恐ろしい。
「俺たちも後から戻るから。秀吉様とおねね様に言伝をお願いね」
「竹中殿、馬をお借りします」
「良いって、俺のせいだしね」
珍しく恐縮したような態度の佐吉に、竹中半兵衛は朗らかに微笑んだ。
そして黒田官兵衛と話でもあるのか、陣の中へ戻っていく。
近くはまだ味方の部隊が多く居る。このまま離れても大丈夫そうだと判断して、本陣に足を向けた。
軍師というのは、俺のような武将には理解できないところで生きているのかもしれない。
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